川なんて見なくていい

  • 2024.03.19 Tuesday
  • 14:57

JUGEMテーマ:介護

 

母の転院が無事終わった。

先生と話をして、古い肺炎のあとがたくさんあると聞いてショックを受ける。

いつからなのかわからないが、たぶん母は自宅にいる時から誤嚥性肺炎を繰り返していたのだった。

それとお尻の褥瘡も表面は小さいけれども内側が深く広がっていてかなりひどい状態で、これは栄養不足のために治りにくいのも原因であるとのことだった。

やはり、私と父だけの自宅介護なんて表面上ですらうまく出来ていないと思っていたが、見えないところではもっと深刻なことが進んでいて、それはもう取り返しがつかないのだ。

 

私は後悔なんてしないと思っていたが、この数ヶ月の母の衰えを目の当たりにすると、どうしても自分の責任は感じる。

どうすれば早いうちにプロに任せることができたのだろうか。嫌がる父と母を説得するのをあきらめるのが早過ぎたのではないか?肺炎の兆候に少しでも気がつくことが出来ていたならば通っていた神経内科でレントゲンを撮ってもらえたのにとか、診察を月一ではなく週一くらいにしてもらえなかったのかとか。

パーキンソンの症状が目に見えて進行していくのが私にはわかっていたのに、そこから逃げようとはしていなかったか?

でもこの後悔って母のためなのか自分のためなのかもわからない。母は検査もリハビリも特養も自分の意思で嫌がったし、家に居たのは母本人の希望だった。そして、ずっと母を疎ましく思って邪険に扱っていたのに結局手放そうとしなかった父は、今色々と後悔することはあるのだろうか?

 

こうなる前にもっとがっぷりと両親と向き合って説得すれば良かったとも思うが、私の意見なんて聞かないこじらせ父と頑固母には、こうなったところでもわかってもらえないような気もする。

 

ぐるぐると考えてばかり。

 

とりあえず今日の転院の際の介護タクシーの中で、ストレッチャーに乗った母に「お母さん久しぶりだね」とか「これからはもっと会いに行けるよ」などと話しかけてもあんまり反応がなかったのだが、「お母さん今、〇〇川の側走ってるよ、見えないかもしれないけど」と言ったらうるさそうに「別に見えなくていい」と突然答えたのが、ああ、母らしいなと思ってなんだか苦々しい気持ちになった。

結果オーライ?

  • 2024.03.01 Friday
  • 17:36

父が母の転院を希望している病院へいきなり直接出向いて「転院したい」と言ってきたらしく、父から聞いてあきれてしまう。

次に母に面会に行った時に今の病院の事務員さんか看護師さんに転院の相談をしようと言っていたのに。

しかも電話もしないで転院希望の病院へ行って突然に「転院したい」って言ったとは。

 

でも先月私が電話で問い合わせをした際に、母の経緯と現状や父の希望と焦りを説明していたのが功を奏して、相談員さんが「娘さんから以前電話がありました」とうまく話が通じたっぽかった。

マジで電話しておいて良かった。

そして父は「ゆき子は電話してたんだな」と言った。先月の私の話を覚えていないのか聞いていなかったのか、まあ人の話をちゃんと聞く人間ではないから平常運転か?

 

父が帰りに病院からもらってきた説明の書類を見ると、「面会に制限はありません」のところがグルグルと何重にも線で囲われていた。

きっと父がちゃんと面会出来るのかそればっかりだったので、相談員さんがグルグルしてくれたのだろう。

そして、「次は娘さんと来て下さい」という旨のことを相談員さんが言っていたと聞いて、あー、やっぱり父はわけのわからない言動をしていたのだろうなあと想像する。

 

しかし、希望の転院には一歩近づいた。

私の職場に同じ様な境遇の人がいて、転院させて良かったと。聞くと今の病院には居ないリハビリの先生が転院先にはいるので足のマッサージなんかもしてもらえるみたいだし、お風呂にも入れてもらえるとのこと。

私もその病院への転院は父だけではなく母にも良いことだと思うので、急過ぎるのは心配だが結果オーライなのかなあ?

面会

  • 2024.02.20 Tuesday
  • 03:20

数週間ぶりに母と面会できた。

父が転院の話を看護師さんに持ち出すのだろうかと思っていたがそんなことはなく、病院へ向かう車の中で「来月にでも転院出来たらなぁ」とかいつもの大きな独り言を言ったのと、病院で看護師さんのいる時に「1ヶ月に1度しか会えないのはなぁ」とブツブツ言うのと、だけであった。要は私が父の心情を察して転院の何やかやを全て私が自ら進んでやるように仕向けているつもりなのだろう。

もちろん私も、母が私たちといつでも会える病院に転院できれば良いなとは思っているのだが、いかんせん今の病院に入ってまだ2週間。先日やっと鼻にチューブを入れて流動食を摂取できるようになったばかりなのだから、このタイミングでの転院はちょっと母の負担を考えると早すぎると思う。

せめて来月の面会で母の様子を見てから考えたい。看護師さんに面会制限の解除は全くの未定なのかと聞いたところ、「インフルエンザの流行が落ち着いたら、、いまはコロナとインフルが両方流行っているので、、」とやんわりと濁す感じなので、まだしばらくはこのままなのかなあと。

 

母は意識もちゃんとしていて、鼻からの流動食のおかげか点滴だけの時よりもふっくらとした印象を受けた。でも浮腫んでいるだけなのかもしれない。

会話もできたし、何を言っているのか聞き取りづらくはあったが少し笑顔も見えたし安心した。

 

そして、父が母の手をにぎって「〇〇(母の名)が居ないと話し相手がいないんだ」とか「〇〇が居ないとどこにも出かけられない」とか「ごはんも1人で食べている」などと言うのを聞いて、私はまたウンザリとした。

今までどれだけ家で要介護の母を罵って、遠ざけて、介護放棄してきたのか覚えてないのか記憶がすり替わっているのか、都合良く自分はちゃんと頑張っていたと思い込んでいるのか?

食事だって母がこぼしたりよだれを垂らすのが汚いから見たくないと言って時間をわざとずらして1人で食べていたのに。

っていうかさ、今も毎日私が食事作って家まで運んでいるじゃないか。

そもそも母の病気の始まりくらい(だと私は思っている)の、元気を無くしそうだった時だって、全く我関せずで一緒に出かけてもいないし。

・・と私は言いたいのを我慢して、近くに住んでいる同年代の親戚のおじさんの家にたまにはお邪魔したらどうか?と言っておいた。

小休止

  • 2024.02.13 Tuesday
  • 17:00

JUGEMテーマ:介護

どう考えても無理なのに母を家に帰させると暴走気味だった父に私は、ケアマネさんと転院の可能性がある2件の療養型の病院に電話で相談した旨を伝える。

2件のうち面会日にあまり制限のない病院に転院するとしても、もう少し今の病院に居ないと話をすすめられないことも説明すると「元々そうするつもりだった」とかなんとか言い出す。私はまあ想定内だと自分に言い聞かせて感情を抑えて、とりあえず父が病院や介護施設に直接乗り込むのは阻止できたことに安堵する。

 

そうこうしている間に今の病院から電話が来る。母が痛がるようになり腕の点滴を打つ場所がなくなったが代わりに鼻からチューブをうまく入れることが出来たので流動食などを鼻から入れることになったとのこと。それと、受け答えも出来るようだし同部屋の人のテレビを見ているような感じなので、母用にテレビを置いたらどうかとのことだった。

たぶんそのテレビの契約などもあるだろうし来週か再来週に母と面会出来るとのことで、少し安心する。

その際に転院の話をするのかどうかは父次第なのだが。

私も転院に関する自分の意見は、母に会ってからじゃないと考えがまとまらないなあと思う。

父さんがヤバい

  • 2024.02.08 Thursday
  • 13:52

JUGEMテーマ:介護

父が暴走し始めた。

もともと父は今週母が入った療養型病院が、月に一度しか面会出来ないことに納得出来なくて、どうにか会おうと看護師さんや介護士さんや主治医の先生に不満をぶつけてはなだめられていた。

しかし今日私が父の食事を実家へ持っていった時に、父は「あの病院はおかしい」「和室をきれいにしたからそこにベッドを置いてお母さんを戻す」などと言い始めた。いやいや、鼻から流動食に点滴に酸素ボンベとか自宅では無理だし、そもそもあなたはオムツも取り替えてなかったし床ずれの薬も、さらにはパーキンソンの薬すら飲ませてなかっただろうと思ったが、明日にも病院やお世話になっていたケアマネさんのいる施設に乗り込もうとしていたので、これはちょっとヤバいなと感じてとりあえず反論せずになだめて、家に帰って速攻ケアマネさんに電話をする。

 

ケアマネさんも「うーん、ちょっと自宅は無理ですね」と。とにかく父が母に少しでも会えれば父は納得するのだから、せめて今の病院よりも面会が頻繁に出来る病院への転院を目標にして療養型病院の相談員さんにとりあえず電話をしようということになった。

 

急いで市内の療養型病院2件に相談の電話をしたところ、一カ所は面会は今いる病院と同じ一月に一度で、もう一カ所は時間制限はあるが毎日会えるとのこと。しかし転院となると、まだ今の病院に入って数日という状況では難しいので、次の面会でまだ父が今の病院に納得出来ないならば看護師長さんに相談して、それから話をすすめてくださいと。まあ、そうだろうな。

 

でも私自身としても、母は意識もハッキリしているしもう少し家族と会えた方が母にも良いのかなあとは思う。

それと今の病院にはリハビリの先生がいないのでリハビリができるかもしれない病院に転院出来たらもう少し希望はあるかもしれないとも思う。しかし自宅に戻すのはどう考えても無理。

 

明日父に食事を届けに行く時にこの話をしようと思うが、正直すごい嫌だ。父がうすら怖い。

この状況で母を自宅に戻そうとする父には狂気すら感じる。毎日看護師さんと介護士さんに来てもらうとか非現実なことを言っている。その執着があるならば、前から仲良くしていろよ。ちゃんと介護してろよ。いざとなったら母への執着というか甘え?依存?が全面に出てきた。

 

母の回復と父の老害

  • 2024.02.05 Monday
  • 21:10

JUGEMテーマ:介護

母が療養型病院へ転院した。本当はもう少し市立病院で治療をしてもらいたかったのだけれども、バタバタと決まってしまった。

転院の日に母の病室へ行くと、なんと母は最初の面会の時よりもずっと回復していて、「お母さん」というと驚いた顔をしてこちらを向き、ちゃんと声も出たし会話も割とすんなりとできたのだった。

母「今何時?」

私「1時だよ」

母「お昼食べたの?」

とか、「晩ごはんは用意してあるの?」

とか、私や父を見て「家に帰る」と言ったりもした。

「もう少し元気にならないと帰れないんだ」と言うと母は「そんなことない元気だ」と言った。

 

ストレッチャーに乗って介護タクシーで転院先へ向かい、私と父は面談室へ。事務員さんや看護師さんや介護士さんとかわるがわる話をする。

最後に主治医の先生と話をした。CTを撮ったが肺は白く写っていてまだ肺炎は治っていないということ、胸に水がたまっているということ、そのために酸素ボンベと点滴をこのまま続けるということだった。

床ずれも酷くて、いつからですかと聞かれて私が知っていることを答えると父が「いや違う違う、もっと前から言われてた」と言い出す。

 

あー、そうだった。父は床ずれの薬も爪の薬も目ヤニも口腔ケアも、何もかもやっていなかったではないか。

私が気づいてケアマネさんに相談して、受けられる介護サービスを提案しても「いや、出来るんだ」と言って拒否していたではないか。私は床ずれの薬以外のケアはしたが、父は床ずれだけは私に見せようとしなかった。母の尻を見せるのが嫌だったのか身体を動かすのが面倒だったのかはよくわからない。

床ずれはもう壊死している状態であった。なんだかもう虐待の域に達しているのではないか?

 

そのくせに父は一ヶ月に一回しか面会出来ないことにショックを受けて、どうにかもっと会えないのか、そればかりを皆に聞いていた。

お電話いただければ状態を説明しますと言われても、そんなに会わないと自分が忘れられてしまうと。

まあ、わかっていたけれども父は結局自分のことしか考えていないのだ。

悲しさや冷静さ

  • 2024.02.02 Friday
  • 18:39

JUGEMテーマ:介護

来週、母の療養型病院への転院日が決まってしまった。

先日転院先の看護部長さんと面談があり、延命治療はしないということや、車椅子に乗せることもしないので寝たきりになるということなどを1時間くらいかけて話をした。母の状態(話しかけるとこちらを見て、ちゃんと認識して話そうとするけど声が出ない)なども伝えた。

栄養については点滴にするか鼻から流動食を入れるかになるけれども、それは転院してから先生と話をして決めて欲しいとのことだった。市立病院では点滴の方を勧められたが、転院先の看護部長さんは鼻からの流動食の方がいいような言い方をしていた。

 

それでも、今年の正月くらいまではちゃんと車椅子に座って自分で食事を口へ運べていたし会話も出来たという話をすると看護部長さんは「うちに入院している患者さんの中でも70代はかなりお若いし、回復するかもしれないですね」と言ってくれて、嬉しかった。

しかし、面会がなんと1ヶ月に1度でしかも10分間だけだったのだ。

でも、毎週は無理ですけどそこまで厳密ではないですよと何回も言ってもらえたので面会予約の電話を3週間おきくらいでチャレンジしてみようかなと思っている。

 

転院先の療養型病院は家から車で10分くらいのところにある病院なのだが、なんだか雰囲気も暗くてさみしくて、私は家に帰って来てから、そこが母の終の住処になるのかと思うと急に悲しくなって涙が止まらなくなった。

それと同時に客観的な自分もいて、「もし寝たきりになっても母は自業自得だし、私はもうこれ以上出来ることはないからきっと後悔しない」とずっと思っていたくせになあと、頭の片隅で考えていたりもする。

子どもの頃から私を支配してきた母だったからこそ今の姿を見て悲しく思うのだろうかとも考えたが、やっぱり家族の情が大きいような気がして、それにもなんだか驚いてしまう。

プラマイゼロ

  • 2024.01.31 Wednesday
  • 18:22

JUGEMテーマ:介護

母が入院してから父は、母に手紙を渡したり(もちろん母は読めないけれど)、家族の写真を大きくプリントしたものを持って行ったり、急にかいがいしくなった。

 

5、6年前からの母の鬱っぽい症状やパーキンソン的な動きの鈍りがわかってから今月に母が入院する前日までは母に暴言を吐いていたくせに。優しく出来るならこうなる前から優しくしてやれよ。

去年、まだ母が介助しながらも自分で歩けてトイレもなんとか行けていた時には「どっか行ってくれないかな」と言っていたくせに、いざとなったら嫌がって、結局母を施設ではなく療養病院に送ることになったのは父のエゴがかなり原因だと思っている。

それと何年もずっと検査や積極的な治療やリハビリを拒否してきた母自身も。

おかげでいまだに結局病名の確定がされていないのだ。

そしてもちろん、母のことも父のことも説得しきれなかった私も大きな原因である。

 

父の母へ向けていたイラつきはこのところ私へ向かうようになり、しんどい。父はもうとにかく何もかも自分だけが頑張っていて正しいのに周りのせいで報われないと思っているようにしかみえない。

私が子どものころからいつもそんな感じではあったが、70を超えてからますます顕著になっている気がする。

母の毒親要素がほぼ無くなったと同時に父の毒親要素が倍増したようで、どうしたものか。

 

その後

  • 2024.01.28 Sunday
  • 15:18

JUGEMテーマ:介護

母が救急搬送されて1週間。

私の妹がいるうちに一度面会に行ったが、目を開けてこちらのことは認識していたけれども呼びかけにはうまく反応できていない様子であった。それでも何かを喋ろうとはしていた。かろうじて妹の名前は言葉として発していた気がする。あとは面会時間終わりに「じゃあまた来るね」と言ったら、手をよろよろと出してきたので手を握ってから帰った。

 

その後担当医に呼ばれて話を聞くことができた。

誤嚥性肺炎は少し良くなって来ていて、カリウム値も下がっているとのこと。とりあえず安心。

しかし口からの食事も胃ろうの手術ももう身体的に無理で今後は鼻からチューブを入れるか点滴だけでしか生命を保てないため、自宅に帰ることはできず、療養型病院が空き次第、転院になりますと。

そこでは積極的な治療というのは出来ないということ、熱が出たら抗生物質を点滴したりすることしか出来ませんと。

 

救急搬送された日にも同じようなことを聞いていたので、覚悟もあったし、もう自宅で介護することなんて到底無理なのは母の様子を見ればわかる。出来れば少しでも治療が続くように療養型病院に行く前に市立病院で肺炎と腎臓の治療をしてもらえればいいなと思っている。

 

あとは父の卑屈さと思い込みと頑固さから来る大きな嫌味や文句の独り言がますます大きくなって来たことが懸念材料。

久々に実家へ帰った妹が部屋でリモートで仕事をしていたら遠くから「あーあ、何のために帰って来たんだか」と聞こえてきたと。

それに私と妹で食事の用意をしている時に近くに寄ってきて「うわーこんなゴミの捨て方されたらたまったもんじゃない」「ふん、無視か」「本当に言うこと聞かないしどうしようもないな」と大きな独り言をぶつぶつと言っていた。

 

妹は東京に帰ったが、たぶんまた母に何かない限り実家にはもう帰ってこないだろうなあ。

介護の終わり

  • 2024.01.22 Monday
  • 12:42

JUGEMテーマ:介護

昨日、パート仕事が昼過ぎに終わってスマホを見たら40分前に父より着信があり、すぐに折り返すと、母の様子がおかしいので救急車を呼ぼうか迷っていたと。私の携帯がつながらなかったので、今日来る予定のヘルパーさんに電話で相談して、今119をしたとのことであった。

慌てて実家へ行くとちょうど救急車も到着したところだった。母は話しかけても反応がなく、息も荒く、手も震えていて血圧もすごく低かった。

搬送先の病院に緊急入院となり、担当医より話を聞いた。

誤嚥性肺炎と、脱水が原因でカリウム値が高くなり、不整脈でいつ心肺停止してもおかしくない状況であるとのことだった。

それで、もし心肺停止になったら蘇生措置をするのかとか、少しでも回復出来たとしても腎臓に大きな障害が残るので1週間をめどに療養型病院を紹介しますとの話をした。要は、もう母が家に帰ってくることはないということだ。

 

日曜日だったので私の夫も同席できて、おかげで私自身は少しは冷静になれて助かった。

病院に行く際にいつも飲んでいる薬ととりあえずのおむつとを持って行けた。

とにかく今後の話よりもまずは抗生物質と点滴で持ちこたえて欲しいと願うのみ。

東京の妹に連絡すると、近く帰るとのこと。

 

今日は私の仕事がたまたま休みだったので色々と良かった。朝イチでケアマネさんに電話をして、状況を説明し受けている福祉サービスを中止してもらう。脳神経内科の主治医には今回搬送された病院から連絡が行くので大丈夫ですと。

 

昨日の夜、夫に「高血圧の薬は飲んでたの?」言われてはっとした。救急隊員の方に普段の血圧を聞かれた時に1年くらい前から上が150くらいあったので軽めの血圧の薬を処方してもらって飲んでいて、それ以降訪問診療の時は120台くらいでしたと伝えたのだが、訪問入浴の際の記録を見てみると、ここ数回の血圧がすごく低くて、それを知らずに私は毎日高血圧の薬を飲ませていた。

週2回の血圧測定で看護師さんから父は血圧のことは何か言われてたのだろうか?

 

誤嚥のことも脱水症状のことも思い当たることはもちろんある。この10日間くらいの急激な母の衰えに対して時間をかけて高カロリー栄養食と飲料と、薬を小さく割って飲ませるようにしていたのだが、それでもたぶん水分も栄養も足りていなかっただろうし、父はよく「アンパンのあんこと野菜ジュースをぐっと口に入れてやるんだけどちゃんと飲み込まない」と言っていた。

 

自宅介護をちゃんとやらないのに最終的には「さみしい」と言って施設に預けるのをやめた父と、その結果の母の状況を私はかなり懸念してしていたにもかかわらず、その一方で結局は私もここ最近の血圧のことや私が居ない時間の介護の様子も知ろうとしていなくて、ただ自分が出来る時間に自分の出来ることを頑張ればそれで良いと思うようにしていただけだった。

とにかく、自宅介護は突然に終わったのだ。

 

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